「キャッシュレス」

2026年1月5日(月)、当社の2026年仕事始めの日だ。昨年同様、初日は社長と常務と私の3人で豊川稲荷へ初詣に行くことになっていた。例年通り、移動は社長の自家用車で、社長自ら運転していただき、私は後部座席でのんびり座って行くことになっている。そして、昼食は豪華な「特上うな重」を社長にご馳走してもらうことも、やはり例年通りだった。

昨年は、初めてだったこともあり、非常に申し訳無い気持ちで一杯だったが、「慣れ」とは恐ろしいもので、今年は運転してもらうことも、「特上うな重」をご馳走してもらうことも、特に「申し訳無い」という気持ちも無く、すんなり受け入れてしまった。

「社長は車の運転が好きだから・・・」とか「社長は(当社の)創業家の御曹司で、莫大な資産家だから・・・」などといった、とってつけたような理由を並べ、「申し訳無い」という気持ちが薄れてしまったことを正当化する自分がいた。ただ、今年は1つだけ「申し訳無い」と思う出来事があった。少し長くなるが、その「出来事」をお話しさせていただく。

 

1月5日は、自動車大手のT社グループがまだお休みだったせいか、昨年よりも参拝者が多かった。そのため、人込みの中を大きなカバンを持って歩くのが嫌だったので、私はスマホだけ持って、カバンは車の中に置いていくことにした。最近は、PayPayや楽天ペイなど、キャッシュレスが当たり前の時代になっているため、スマホは持ち歩いても、財布を持ち歩くことはあまりしなくなっており、今回も、財布はカバンの中に置いたままで、スマホだけをポケットに入れて豊川稲荷の本殿へ向かってしまった。

しかし、よくよく考えてみると、参拝には「お賽銭」が付きもので、いくらキャッシュレスが増えたとは言っても、さすがに、お賽銭は現金しか受け付けてくれないだろう。そのことに気づいたのは、豊川稲荷の入り口(総門)をくぐり抜け、本殿の手前まで到達したときだった。仕方がないので「お賽銭」無しで参拝しようかとも考えたが、さすがにそれは「マナー違反」だろうと思い直し、社長にお願いして「お賽銭」を借りることにした。

ちょうど、社長が自分のお賽銭を準備しようと財布を出して、小銭を確認していたので、私は「今しかない!」とすぐさま社長に「すみません。財布を車の中に置いてきてしまったので、小銭をお借りできますか?」とお願いした。すると社長は、財布の中を覗き込み、ちゃらちゃらと小銭を数枚掴んで、「はい、どうぞ」と言って、快く五円玉を3枚渡してくれた。私は「すみません。ありがとうございます。」と言い、その小銭をズボンのポケットにしまい込んだ。「これで安心して参拝できる」という思いと、「お賽銭を借りてしまった」という「後ろめたさ」を抱きながら、私は本殿へ向かった。「特上うな重」をご馳走になることも、車を運転してもらうことも、特に「申し訳無さ」を感じなかったのに、「お賽銭の15円」を借りたことだけは、なぜかとても「申し訳無い」という気持ちで一杯だった。

 

2026年の初参拝で私がしたお願いは2つ。「家族全員、健康に過ごせますように」というのが1つめのお願い。そして2つめのお願いは「人から借りたお賽銭でも、ご利益はありますように・・」というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「朱に交われば・・・」

2025年12月初旬、久しぶりに風邪を引いてしまった。いつ以来だろう。去年の7月に新型コロナになったことは覚えているが、ここ数年、風邪で体調を壊した記憶は無かった。

今思えば、D社時代は、肉体的にも精神的にもキツかったため、年末の休みに入ると、1年間の疲れが一気に溢れ出て、必ず風邪を引いて寝込んでいた。今の会社に転職してからは、これまで述べてきた通り「穏やかな日常」を送っているため、風邪を引いて寝込んだ記憶などほとんど無い。

ただ、今回風邪を引いてしまった原因はよくわかっている。明らかに12月1日~7日のインド出張のためだろう。(出張期間のスケジュールは以下の通り)

<12月1日(月)>

羽田からデリーへ移動 (22時くらいにデリーのホテル到着)

<12月2日(火)>

早朝のフライトでデリーからムンバイへ移動

昼過ぎまでムンバイで打合せをした後、ムンバイからバンガロールへ移動

(フライトの遅れとバンガロールでの交通渋滞により、22時くらいにホテルへ到着)

<12月3日(水)>

昼過ぎまでバンガロールで打合せをした後、デリーへ移動。

(フライトの大幅な遅れにより、23時過ぎにホテルへ到着)

<12月4日(木)>

9時から19時まで、計4件の業務打合せ

<12月5日(金)>

午前中はコンサル会社と打合せ、午後はD社インド拠点の工場見学及び打合せ、

 夜はD社インド拠点のメンバー(私の元同僚のインド人たち)と会食

<12月6日(土)>

昼過ぎまでグルガオン市内視察、夕方のフライトで日本へ帰国

<12月7日(日)>

朝、羽田到着

それなりにハードな日程であることに加えて、やはり一番大きかったのは、各地の気温差だと思っている。デリーはこの時期、最低気温は8℃くらいで、セーターにダウンジャケットという装いなのに対して、ムンバイは19℃、バンガロールに至っては25℃近くあり、Tシャツと短パンで過ごせる陽気だった。気温差が15℃近くあるこの3都市を3日間で行ったり来たりしたため、体への負担はかなりのものだったと思う。それに加えて長時間の打合せや夜の会食等、毎日、朝から晩まで予定が盛りだくさんだったため、最終日には、喉の痛みと体のだるさで、どうにも体調が悪かった。また、この時期のデリーは1年の中で最も空気が汚いと言われているだけあって、マスクをしていても、喉に違和感があり、咳が止まらなかった。これが風邪による咳なのか、空気の汚れのせいなのかは、未だによくわかっていないが、いずれにしても、体調不良のまま日本へ帰国した。帰国後も、激しい喉の痛みに加え、微熱もあったので、その日はずっと床に臥せ、翌日も会社を休んで1日、家で静養することにした。

自宅のベッドで横になっているとき、ふと、今回のインド出張に関して明後日の取締役会で報告しなければならないことを思い出した。一瞬焦ったが、「まあ、明日、体調が回復してから(報告書を)作ればいいか」と考え、今日は体を休めることに専念することにした。

取締役会での報告資料を、会議の前日に作成するなんて、D社では考えられない暴挙だったが、「朱に交われば赤くなる」というのは、こういうことなのかもしれない・・・、そう思いながら、その日は1日中ベッドで寝転んで過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「穏やかな休日」

2025年11月、私の手元に健康保険組合から「資格確認書」なるものが届いた。これは、ご存じの通り「マイナ保険証」の登録をしていない方々に、従来の健康保険証に代わる証明書として配布されるものだ。私も妻も、ずいぶん前に「マイナ保険証」の登録は済ませているはずなので、不思議に思いながらその「資格確認書」をよく見てみると、そこにはうちの息子の名前が記載されていた。息子は現在、大学院の2年生で、名古屋で一人暮らしをしている。もういい年齢ではあるが「学生」という身分なので、健康保険は私の扶養に入っている。そのため、被保険者である私のところに、息子の「資格確認書」が送付されて来たのだった。

今年の12月1日から、マイナ保険証への切り替えに伴い、既存の健康保険証が使えなくなることはアナウンスされていたので、いまだにマイナ保険証の登録をしていないことに少し驚いた。ただ、来月からはこの「資格確認書」が無いと困るだろうと思い、今月中にうちに取りに来るようにLINEで伝えたところ、今週末の日曜日に取りに来ることになった。

息子は自由気ままな学生生活を送っているため、私たち両親と顔を合わせるのは、お盆と正月の年2回くらいだった。今回は、お盆休み以来、約3カ月ぶりの対面となる。ただ、その日は、たまたま妻の母親がうちに遊びに来ることになっており、妻は終日、母親を連れて出かけるため、私と息子のふたりで一日過ごすことになった。

日曜日の10時くらいにやって来たので、「資格確認書」を渡した後、これから一日、どうやって過ごそうかと話し合った。その結果、まずは近所のスーパー銭湯へ行き、疲れを癒すことにした。その後は、スーパー銭湯の近くにある焼き肉店で昼食、午後は、息子が冬服を買いたいと言ったので、最近、近所にオープンした「ららぽーと」へ行き、のんびり買い物をすることにした。

スーパー銭湯には、何カ月か前に、やはりお盆休みでうちに来た息子と行って以来だった。そのとき、二人ともアプリ会員に登録したため、今回も、携帯でアプリの会員証を提示した。ところが、受付の方から「今月からアプリの会員証は廃止され、紙の会員証に変更になりました。」と言われ、新規入会申込書とボールペンを渡された。紙の会員証を廃止しアプリの会員証にする、という話はよく聞くが、アプリを廃止して紙の会員証を発行するとは、時代の流れに逆らった、「昭和レトロ」なお店だなあと、感心すらした。息子と二人で受付の横に置いてあるテーブルで入会申込書に記入し、紙の会員証を発行してもらった。

お風呂自体は、「昭和レトロ」感は無く、ジャグジーやサウナ、炭酸風呂など、どこのスーパー銭湯にもよくある施設が備わっていたので、それなりに満喫することができた。

お風呂に入ってぽかぽかと温まった状態で、今度は焼き肉店に行った。ここは、いわゆる「食べ放題」のチェーン店ではなく、少し高級感のあるお店だった。ここでは、父親としての「威厳」を見せるべく、息子の好きなものを好きなだけ頼んで良いと伝えた。私の知る限り、息子は意外と少食なので、お会計の時にびっくりするような金額になるリスクはほとんど無い。ここの名物の「熟成生タン」「熟成ハラミ」や「釜炊きご飯」などを注文し、ちょっとリッチな気分で焼き肉を満喫した。

その焼き肉店から車で10分ほど走ったところに「ららぽーと」がある。息子の冬服を買うためと言ったが、実は私にも思惑があった。「ららぽーと」の1階には、私の大好きなシュークリーム店「ビアードパパ」があるのだ。「ららぽーと」には、普段から妻と一緒によく買い物に行くが、妻はシュークリームがあまり好きではないため、私は「(ビアードパパの)シュークリームを買おう」と言い出せずにいた。今回は、「息子が(ビアードパパの)シュークリームを欲しがった」という理由で、正々堂々と買って帰ることができる。しかも、今は期間限定で「焼き芋シュー」が販売されていた。

 

 

息子の買い物に付き合った後、「シュークリーム食べたいよね?」と聞いてみた。息子からは「まあ・・・」という曖昧な返事しか返ってこなかったが、「No」とは言っていないのでヨシとしよう。期間限定の「焼き芋シュー」も入った「食べ比べ5個セット」を購入し、帰宅することにした。

帰りの車の中で、薄暗くなった窓の外を眺めながら、今日一日を振り返ってみた。久々に息子と会って、スーパー銭湯へ行き、焼き肉を食べ、買い物をする、という文字にすれば、何の変哲も無いことばかりだが、いろいろと忙しい日々を送っていた私にとっては、この上なく穏やかで楽しい休日だった。

「何でもないような事が 幸せだったと思う 何でもない夜のこと 二度とは戻れない夜」というロードの歌詞が、本当に身に染みる一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「インドふたたび」

2025年9月、ふたたび、インドへ出張することになった。6月の出張時は、5日間でデリー、チェンナイ、プネを行ったり来たりするという、かなりハードなスケジュールだったため、途中で体調を崩してしまい、大変な思いをした。そこで今回は、基本的にデリー(グルガオン)に滞在することにした。移動の負荷が少ないことはもちろんのこと、グルガオンは私がD社時代に1年半もの間生活していたところなので、それなりに土地勘があり、精神的な負担も少ない。今回も社長が一緒だったので、グルガオンの名所や美味しいレストランを案内することもできる。

初日の夜は、デリー最大のショッピングモール「アンビエンスモール」へ行き、モール内にあるインド料理レストランで夕食を取ることにした。ここは私がインド駐在時代によく出張者を連れて来ていたお店だったので、社長に「ここのお店は良く来ていたので、注文は私に任せていただけますか?」と、ついついインド通を気取ってしまった。ここは、インドカレーもさることながら、ガーリックシュリンプが絶品のお店だったので、ガーリックシュリンプと、インド料理の定番であるタンドリーチキンとビリヤニを頼み、それに加えてインドカレーは「バターチキン」と「チキンマサラ」の2種類を注文することにした。

ガーリックシュリンプとタンドリーチキン、そしてビリヤニは、想定通り、非常に美味しく、社長もご満悦の様子だった。ただ、インドカレーだけは、私の想定とは大きく異なっていた。というのも、味はどちらも申し分なかったのだが、そのサイズが私の思っていたものよりもかなり大きかったのだ。私の知る限り、日本のインド料理レストランでカレーを頼むと、アルミ製の小ぶりなカップに入って出てくることが多い印象だが、ここのカレーは、どんぶりくらいのサイズのボールに盛られて出てきたのだった。しかも、カレーを2種類注文したので、当然、どんぶり2個分のカレーが我々の目の前に並べられた。ガーリックシュリンプとタンドリーチキンは一人当たり3個くらいあったので、これを食べた上に、ビリヤニを食べ、それに加えてカレーをどんぶり1杯食べるのは至難の業だ。

私のインド赴任中もこのお店でカレーを注文したことは何度もあったが、大抵、日本人駐在員2-3名と日本からの出張者1~2名だったので、カレーの量が多すぎると感じたことは無かったが、よくよく考えてみると、ふたりでカレー2種類とガーリックシュリンプ、タンドリーチキン、ビリヤニは、明らかに頼みすぎだった。

食事中の「このカレー、美味しいけど、ちょっと多すぎるよね」とか、「さすがにこんなに食べきれないなぁ」といった社長の一言一言が私の胸に突き刺さった。

なんとか私の名誉を挽回すべく、夕食後、グルガオンの現地視察として「Cyber Hub(サイバーハブ)」を案内することにした。Cyber Hubというのは、大手の外資系企業などがオフィスを構える「Cyber City(サイバーシティ)」というオフィス街に隣接した屋外型のショッピングモールで「インドで最も発展を遂げているエリア」とも言われている場所だ。

そして、ここの中心部には日本が誇るアパレルブランド「UNIQLO」が大きな店舗を構えており、サイバーハブの中心で煌々と光り輝く「UNIQLO」のネオンの下を、インド人の富裕層が行き交っている光景は圧巻だ。

砂埃が舞い散る砂漠地帯のようなインドの街並みから数分間、車で移動しただけで、まるで東京の丸の内か銀座のような洗練された雰囲気のオフィス街・ショッピングエリアを目の当たりにして、社長もさすがに驚いた様子だった。そして社長が嬉しそうに「僕の思っていたインドのイメージを一新するエリアですね。インドにもこんなところがあることを知ることができて、非常に良い経験になりました。」と少し興奮気味に言われ、一心不乱にサイバーハブの様子を動画で撮影していた。これで、なんとかカレーを頼みすぎた汚名を返上できたようだ。

「今後は、インド通を気取って知ったかぶりをするのはやめよう・・・」

UNIQLOのネオンが煌々と光り輝くサイバーハブの片隅で、私は固くそう誓ったのだった。

 

 

 

 

 

「過ごしやすい時代」

2025年9月、税務調査は何とか乗り切ったが、その後には、中国(広州)出張とインド出張が待ち受けていた。6月にも台湾出張とインド出張が立て続けにあり、疲労が蓄積され免疫力が落ちていたせいか、インド出張中に激しい腹痛に見舞われ、ヘロヘロになってしまった苦い経験がある。

今回は同じ失敗を繰り返さないようにしたい。そのため広州出張期間中は、できうる限り、体力を消耗しないよう心掛けることとした。

監査役監査は、監査を受ける社員の方々の業務負荷も考慮し、定時(業務終了時刻)の30分から1時間前には終えるスケジュールになっているので、体力的に問題は無い。やはり、最も体力を消耗するのは、その後の会食だ。通常、現地拠点長(日本人出向者)が毎日夕食に付き合ってくれるのだが、広州の拠点長は無類の酒好きで、前回の出張のときも、日本食レストランで夕食を済ませた後、「軽く行きますか」と言われ、2次会に付き合わされ、気が付けば日付を跨いでいることがたびたびあった。そもそも私はお酒が苦手で、かつ、カラオケが好きではないので、2次会に行くことは苦痛でしかなかった。

私がD社に入社した1993年当時は、「コンプライアンス」とか「ハラスメント」などという言葉は存在すらしていなかったので、「上司や先輩社員から注がれた酒はありがたく頂戴する」ことが社会人としての礼儀であり、新入社員は2次会だけでなく、最後(3次会、4次会・・・)まで付き合うことが義務付けられていた。当然ながら、飲み会で「僕はお酒が飲めません」などと言ってソフトドリンクを頼むなんてことは、できるはずもない時代だった。

しかしながら、今は2025年(令和8年)である。上司が部下にお酒を強要したら、それは「アルコールハラスメント」という不適切行為になる可能性があり、嫌がる部下を無理やり2次会、3次会に連れ回したら、「パワーハラスメント」になるリスクさえある。お酒を飲めない社員が遠慮なくソフトドリンクを注文でき、2次会に行きたくなければ、躊躇なく「僕は行きません」と言える時代になったのだ。

そこで、今回、この現地拠点長には、堂々と、このあとインド出張が控えているため、夕食後はホテルに直行してゆっくりしたい旨を告げた。(そもそも、私とこの拠点長の間に「上司-部下」の関係性は存在しないため、遠慮する必要は無いのだが、昭和の時代を生きた私にとって、2次会を断ることは「悪いこと」のように考えてしまうのだ。)

私の発言を聞き、2次会に行く気満々の拠点長は、かなり残念そうだったが、しぶしぶ了解してもらった。

そのおかげで、今回の出張期間中は睡眠時間も十分確保でき、余計な体力を消耗せずに過ごせたため、インド出張に向けた「充電期間」とすることができた。

 

私と同世代の方々は、「今の時代、コンプライアンスが厳しすぎて、窮屈な世の中になったなぁ・・・」などという言葉をよく口にするが、私にとっては、「この上なく過ごしやすい時代」が到来したと実感している。

欲を言えば、私が新入社員の頃にこういった時代が来て欲しかった、という思いもあるが、それは少しわがままが過ぎるかもしれない・・・。

 

 

 

「仮説の立証」

2025年9月、当社に税務署の調査が入ることになった。いや、なってしまった。

そして、調査開始日の1週間前に、税務署から「事前準備リスト」なるものが届き、そこには調査のために事前に準備しておかなければならない資料が山ほどリストアップされていた。

私の前職での経験上、税務調査官の当社に対する第1印象は非常に重要で、(あくまで私個人の見解だが・・・)初めの心証を悪くすると、その後の調査に影響しかねない。そのため、事前準備の依頼があった資料をきちんとそろえておくことは、調査官の当社に対するイメージアップにつながる(はずである)ため、当社のメンバーには、速やかに準備するようお願いした。「事前準備リスト」の中には「こんな資料、絶対に見ないだろう」と思われるものもたくさんあったが、そこはグッと飲み込んで、真摯に依頼された資料は耳をそろえて全て準備した。

 

いよいよ調査初日、3名もの調査官が当社に乗り込んできた、いや、お越しいただいた。

第1印象を良くするための策として、まずは「事前準備リスト」に記載のあった資料で会議室の壁一面を埋め尽くした。言うまでもなく「あなたたちに依頼されたこれだけもの資料を、たった1週間で全て準備しましたよ」というアピールだ。そして、次の一手としては、電子データで準備するよう依頼のあった資料が、事前準備リストの順番通り、きちんと整理して保管されているPCの画面を、会議室の壁にプロジェクターで大きく映し出した。調査当日のわずか1週間前に依頼したにも関わらず、初日にほぼ完ぺきに資料が準備されていたことに、3名の調査官の方々は少し驚いた様子だった。

その後も、うちのメンバーには、調査官から依頼された内容については、最優先で対応するようお願いしておいたので、調査は非常にスムーズに進んだらしく、もともと4日間の予定だった調査期間が1日短縮され、3日間で終了した。調査官からの指摘事項も、こちらの想定を超えるようなものは無かったのでホッとした。

そして、調査最終日のクロージングミーティングでは、調査官の方から、うちの社長に対して「今回の調査に当たり、事務方の皆さんがとても協力的で、事前準備もしっかり実施してくれたので、非常にスムーズに調査を終えることができました。」という言葉とともに「現在はしっかりと管理されていることが良くわかりましたので、過去に見受けられた微妙な案件は、敢えて深掘りしないことにしました。」と言っていただいた。

 

私の言っていた「調査官の心証を良くすることがとても重要だ」という仮説が、まさに立証された瞬間だった。

今回の税務調査で「第1印象の大切さ」を思い知らされた私は、このとき「自分も第1印象を良くするため、今後、身だしなみには人一倍、気を配ろう」と固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

「穏やかすぎる日常」

いろいろあったインド出張から戻り、そろそろ2か月近くが経過しようとしている。台湾出張から戻ってきて1週間後にインドへ出張するという怒涛の日々を送っていたのが嘘のように、近頃は何事も無く平穏な毎日を過ごしている。そのため、このブログに書くネタもなかなか見つからず、前回の投稿から、もう1か月が過ぎようとしていた。ブログを始めてからこれまでは、何だかんだハプニングが起こり、ブログのネタに困ることは無かったのだが、最近は幸か不幸か「穏やかすぎる日常」を過ごしている。

 

・・・と、ここまで書いたところで、夜も深まってきたので、一旦筆を止め、就寝することにした。

 

ところが、翌日になると、私を取り巻く環境が一変していた。まずは、今月中に中国とインドに行かなければならなくなった。そして、中国、インドの出張日程を調整していたところ、今度は税務署から連絡があり、当社に税務調査が入ることになってしまった。

中国出張に1週間、インド出張に1週間、そして税務調査に1週間を費やすことになったので、今月は、通常業務に割り当てられる時間は1週間しかない計算になる。

また、プライベートでは、昨年他界した私の父親の1周忌があり、また、関東へ嫁いでいった長女が、旦那の出張期間中、こちらへ帰省することになったため、しばらくうちに滞在することになった。どうやら、今月は週末も穏やかに過ごすことはできなさそうだ。

 

こういった「忙しすぎる日常」と引き換えに、ブログのネタがたくさん見つかることを期待して、これから始まる「怒涛の日々」を過ごすことにしよう。