人事
2024年7月、台湾にある子会社へ出張することになった。私にとっては初めての台湾であり、20年前に行き損ねた台湾でもある。というのも、前職のD社にいた2003年の夏、上司から台湾赴任を告げられたことがあった。 かねてから海外赴任を希望していた私は、飛び…
2023年4月に昆山拠点の管理部長が突然、退職してしまった。日本の入社式で流したお祝いメッセージ動画では、昆山の管理部長として「日本の新入社員の皆さん、入社おめでとうございます。一緒に頑張りましょう!」と言ってガッツポーズをしていたにもかかわら…
2024年1月、当社の新年度がスタートした。私の管掌する管理部門についても今年の年度方針を作成したが、重点実施事項のひとつに「海外拠点のモニタリング強化」という項目を掲げた。 昨年、中国の2拠点(昆山、広州)に出張したが、これまでは各社が独自で会…
2023年12月、私の前職であるD社の元副社長で、私の恩師でもあるMさんを講師にお招きし、当社の部長職以上の管理職向けに「マネジメント研修」を開催した。 人には誰でも、自分の人生に影響を与えてくれた「恩師」と呼べる方がいると思うが、私にとっての恩師…
2023年4月に親会社の社外取締役及び監査役の方々が、浜松にある当社の工場を視察することになった。有名な弁護士の先生や大学教授等、VIPの方々総勢6名が東京からお越しいただくので、当社は大慌てだった。 大まかなスケジュールとしては、朝、東京を出て新…
2023年9月に昆山拠点へ出張したが、その3か月後の2023年12月には広州拠点へ出張することになった。 目的としては、広州拠点の人事制度改訂の説明会に出席し、本社の人事担当役員として一言主旨を説明して欲しいということだった。本来なら、広州の拠点長が説…
執行役員就任とともに、もうひとつ私に大きな変化があった。それは全海外拠点の監査役に就任したことだ。当社の海外拠点は、中国の昆山(上海近郊)と広州、ベトナム、台湾の4拠点あるが、その全ての監査役を兼務することになった。 また、時を同じくして、…
2023年3月、私にとって大きな変化があった。それは私が執行役員に就任することになったのだ。もともと、転職先で出世したい、という思いがあった訳ではなく、自分という人間を必要としてくれる会社で自分のキャリアと経験を活かして活躍したい、という思いだ…
毎年、親会社からの指示で「コンプライアンス意識調査」という、いわゆる社内アンケートを実施しており、2022年の調査結果として「トップの思いや会社の状況が社員に伝わっていない。」といった指摘事項があった。 確かに、部長会等で会社の業績や社長の考え…
2023年4月3日(月)、10名の新入社員を迎えて2023年度の入社式を開催した。会場は1月の抽選会で単独指名を勝ち取った市民会館の講座室だ。通常、入社式というと「社長以下役員の挨拶」と「入社辞令の交付」が定番だが、それだけでは味気ない。せっかくなら、…
2023年4月に大卒、高卒合わせて10名の新入社員が入社することになった。 昨年は新入社員が1名だったため、会社の応接室を片付けて入社式の会場にしたが、10名となるとスペース的に応接室ではさすがにキツいので、今年は社外の会場を借りることにした。 しか…
高卒採用と並行して大卒採用についても検討を始めた。私がまず行ったのは、社長にお願いし、就職サイト「マイナビ」の登録料の予算を確保することだ。やはり大学生を採用するには、二大就職サイトのどちらかを使うしかない。この点は社長もすんなり理解いた…
FCB社に転職して間もなく、社長から「当社は高齢化が進んでいるため、若返りを図るべく、新卒採用活動を強化して欲しい。」と言われた。当社は1935年に創業を開始し、2035年で創業100周年を迎えるため、社長が「100年・100億」というスローガンを掲げ2035年…
2022年4月に1名、当社に新卒(高卒)の新入社員が入社することが決まっていた。入社予定の方は、当社工場の目の前に住んでいる地元の高校の生徒さんで、本人よりもご両親が当社への入社を強く勧めたらしい。当社としては10年ぶりくらいの新入社員だ。 新入社…
当社は1935年の創業から2019年に東証1部上場企業(当時、現プライム市場上場)であるA社に買収されるまで、オーナー企業として、ある意味、独自の路線を歩んできた。 2019年の買収後、上場企業のグループ会社として親会社から様々な要求があり、それまでの自…
2021年10月21日、FCB社への出社初日だ。この日のことは今でも鮮明に 覚えている。 FCB社から採用内定の連絡をもらったのは7月上旬だったが、D社での引継ぎと有休消化もあり、FCB社への入社は10月21日になった。 内定から入社日までの間、9月に一度、FCB社の…
2021年10月、新型コロナウィルスが未だ猛威を振るう中、私は28年間勤務した大手自動車部品メーカーであるD社を51歳と8ヶ月で退職した。 定年まではまだ8年以上あるが、いわゆる「早期退職制度」を利用して、D社とは比べものにならないほど小さな部品メーカー…