「ステレオタイプ」

インド新会社を立ち上げるに当たり、2名のインド人スタッフを採用することができた。

そのうちの1名(40代、男性)は、すぐにでも入社したいと言ってくれたので、私のインド赴任を待たずして、5月1日から入社することになった。当面の間は、日本とインドで定期的にウェブ会議をしながら、会社設立後の諸手続きなどを進めてもらっていた。そして、いよいよ私がインドに赴任する前日に、彼から「お願い」というタイトルのEメールが送信されてきた。その内容は、「インドに赴任する際に、できれば、日本でこれを買ってきてください。」というメッセージとともに、「S&Bゴールデンカレー(甘口)」の画像が添付されていた。私はインド人はみな、辛いカレーが好きで、「日本のカレーなんか、本物のカレーじゃない」と思っているのだと勝手に思い込んでいたので、少し驚いた。念のため、そのメールの返信で「本当に甘口でいいの?」と聞くと、「はい。私は日本の甘口カレーが大好きです。」と返ってきた。

もう1名のインド人スタッフ(20代、女性)は、前職での業務引継ぎの関係から、6月8日の入社となった。そして、入社初日、私と一緒に現地の会計事務所に訪問することになった。先方の会議室に通された後、「お飲み物は何にしますか?」と聞かれたので、私は「チャイをお願いします。」とお伝えした。先方のスタッフが、その流れで彼女にも「あなたもチャイでいいですか?」と聞くと、彼女は間髪入れずに「いいえ、私はチャイは飲めません。コーヒーをお願いします。」と答えていた。これも私の勝手な思い込みで、インド人はみな、チャイが好きで、毎日のように飲んでいるものだと思っていた。まさか「チャイが飲めないインド人」が存在するとは・・・。

 

彼らのおかげで、「インド人はみな、辛いカレーが好きで、毎日チャイを飲んで過ごしている。」といった私のステレオタイプな認識が間違っていたことに気付くことができた。

 

2026年7月現在、私は、「甘口カレーが好きなインド人」と「チャイの飲めないインド人」と3人で、毎日、楽しく過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「インドにまつわるエトセトラ」

「私がインドに赴任できるのは、一体いつになるのだろう・・・・。」

4月28日にそう投稿してからおよそ2か月が経過した6月中旬、私は今、インドのグルガオンにあるオフィスでこの投稿を書いている。

そう、あれから「些細なトラブル」はあったものの、会社の設立登記は無事完了し、就労ビザも取得できたため、晴れて6月5日にインドに赴任したのだった。

「6年ぶり2回目」のインドで、私が住んでいるグルガオンの街並みにほとんど変化は見られなかったが、ひとつだけ、大きく変わったことがある。それは、「お金の支払い方法」だ。以前インドにいた2019年頃は、いわゆる「QRコード決済」などというものは存在すらしていなかった。現金かクレジットカード、もしくはデビットカードしか選択肢は無かったと記憶している。ところが、2026年はインドの銀行口座に紐づいた「QRコード決済」が猛威を振るっており、現金はもちろんのこと、インドの銀行口座に紐づいていないクレジットカードすら使用できないことが多かったのだ。ここまで「キャッシュレス」が浸透しているとは想像すらしていなかった。

ただ、日本からの駐在員がインドで銀行口座を開設するためには、まずはFRROと言われる外国人登録を済ませた後、PANカードといわれる納税者番号が記載されたカードを発行してもらう必要がある。しかも、それらの手続きを同時並行で進めることはできないため、まずFRRO、次にPANカードという手順を踏まなければならなかった。これも「インドあるある」かもしれない。

私は、ようやくFRROが取得できた段階なので、まだ「QRコード決済」を利用することができない。仕方がないので、現金かクレジットカードが利用できる数少ないスーパーで全ての買い物を済ませ、なんとか生活している。昼食は、たまたま私のオフィスの1階にスターバックスがあり、さすがに「世界のスタバ」ではクレジットカードが使えるため、毎日、スタバでサンドイッチとコーヒーを買っている。ただ、インドでもスタバはそれなりの値段であり、日本で毎日食べていた仕出し弁当の2倍以上の昼食代となってしまっている。

「豪華な昼食」も悪くはないが、毎日スタバではさすがに飽きるので、今は一刻も早くPANカードが発行されることを、心から願っている・・・。

 

 

 

 

 

 

 

「想定の範囲内」

「2026年4月1日」: 2025年10月の当社の取締役会で決議されたインド新会社の設立予定日である。

 通常、インドでの会社設立のリードタイムは3~4ヶ月と言われているため、設立手続きを代行してくれるインドのコンサル会社からは「10月から準備を始めれば、4月1日と言わず、2月か3月には会社を設立できると思います」と言われていた。

そうはいっても、何が起こるかわからない国、インドなので、その言葉を鵜呑みにはせず、会社設立時期は4月上旬くらいだろうと想定し、その前提で、自分のインド赴任日について検討することにした。

インドに赴任するためには、会社が設立登記された後、就労ビザを取得する必要がある。ビザ取得手続きもリードタイムは、通常3~5日と言われているが、これも余裕をもって2週間と想定した。

会社設立が4月上旬、その後、就労ビザの取得で2週間と想定し、私は、インド赴任日を「5月1日」にすることにした。インドのコンサル会社にも「5月1日赴任」で問題無いか確認すると「全く問題無いと思いますよ」という返事をいただいた。そのため、その前提で、フライト予約や空港までの新幹線の手配、引っ越しの手配、自家用車の売却等、赴任する上で必要な諸々の準備を開始した。ところが・・・・、である。

現在、2026年4月24日の午前11時12分。現時点でまだ、会社設立登記は完了していなかった・・・・。

設立登記に必要な書類を全て揃えて、コンサル会社からインド企業省に申請できたのは、4月17日だったので、現時点でまだ設立登記が完了していないのはもっともな話である。

2025年10月から準備を始めたにもかかわらず、なぜ設立登記の申請が2026年4月中旬になってしまったのか・・・、その理由は実に単純明快だった。

そもそもインドの会社法では、会社を設立する場合、2名以上の株主が必要となる。そのため、今回、日本本社だけでなく、当社の台湾子会社も株主になってもらうことにした。つまり、日本本社及び台湾子会社の双方で、会社設立のための様々な書類を準備しなければならない。

日本側は、10月からコンサル会社の担当者と相談し、着々と書類の準備を進めていた。しかしこの間、台湾子会社でどの程度準備を進めているのか。私は知る由もなかった。

日本側で全ての書類が整ったのは2月中旬くらいだったため、2月末くらいに設立登記の申請をすれば、4月1日の登記完了はほぼほぼ確実かと思われた。しかし、その矢先、信じられないメールがccとして私のところに送られてきた。それは、コンサル会社の担当者から、台湾子会社の担当者へ、会社設立のための必要書類が記載された一覧表とともに、書類を準備して欲しいという旨の依頼メールだったのだ。

つまり、10月からの5ヶ月間、このコンサル会社は日本本社としかやり取りしていなかったのだ。日本で書類を全て揃えるのに5ヶ月近くを費やしたのに、今から台湾側で準備を始めたとして、すべての書類が揃うのは、一体いつになるのだろう。すぐにコンサル会社に状況を確認すると、「書類の準備は、1社1社順番に行うので、日本本社の書類が揃った今から、台湾側に書類を依頼することになってます」と落ち着き払っておっしゃられた。

私から「今から準備を始めて、4月1日設立に間に合うんですか?」と聞くと、「台湾の方には相当頑張ってもらわないといけませんね」と、どこか他人事のような返答が返ってきた。

ただ、台湾側で相当頑張ってもらい、なんとか4月上旬には書類を揃えることができた。その結果、4月17日には、無事、登記申請を終えることができたのだった。

しかしながら、当然、私の「5月1日赴任」の目は無くなったため、赴任のフライトや引っ越し手配等、関係各所に赴任日の変更を連絡しなければならない。ただ、まだ会社の設立登記が完了しておらず、就労ビザについては、手続きを始めてすらいないため、変更後の赴任日を決めることができない状況だった。

私の「5月1日赴任」というのは、私なりに様々なリスクを想定したうえで決めたつもりだったが、やはり想定の範囲を超えることが起きてしまった。いや、インドで起こるリスクを想定しようなどという考え自体が、間違っているのかもしれない。

私がインドに赴任できるのは、一体いつになるのだろう・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「インドあるある」

私のインド赴任が決まった2026年2月に、またインドに出張することになった。今回はいろいろあって、親会社のKさんと現地で行動を共にすることになった。Kさんは、私がインド(デリー)に入国する1週間前にチェンナイ入りして、チェンナイで顧客訪問等をした後、私がデリーに入るタイミングで、合流することになっていた。

海外出張を経験した方なら賛同いただけると思うが、海外でホテルに長期滞在した場合、一番困るのは洗濯物が溜まってしまうことだと私は感じている。日本のビジネスホテルのようにコインランドリーが整備されていれば自分で洗濯もできるが、少なくともインドで私がよく利用するホテルには、そんな設備は無い。気の利いたホテルであれば「ランドリーサービス」というものがあって、「1人3枚/日まで」というような条件付きで無料で洗濯してくれることもあるが、そのホテルは、かなりリーズナブルなホテルなので、以前利用したときは、そのようなサービスは存在しなかった。

ところが、今回、ホームページで確認したところ、そのホテルにも、「ランドリーサービス」なるものが新設されていた。「これなら、日数分の着替えを持っていかなくても大丈夫!」と一瞬ホッとしたが、よく考えてみると、そこはインド人が経営する安ホテルである。ホームページに記載があっても、現地に行ってみると「今は洗濯機が壊れているから使えない」とか、仮に使えたとしても「アイロンも掛けずにしわくちゃなまま返ってくる」といった、インドにありがちなリスク(いわゆる「インドあるある」)は十分に考えられる。そう思い直し、私は日数分の着替えを持っていくことにした。

インドに入国した後、ホテルでKさんと合流した。Kさんは、1週間チェンナイで過ごし、昨日、このホテルに入ったそうだ。Kさんに「長期間インドに滞在するのは、いろいろと大変ですよね」と言うと、「そうなんだよ。洗濯物が溜まっちゃって・・・」という返事があった。そこで私は、不用意にも「このホテルにはランドリーサービスがあるみたいなので、使ってみたらどうですか?」と言ってしまった。Kさんは、マレーシアやインドネシア等、海外経験は豊富な方だったが、インド赴任経験は無いため、常識では考えられないことが起こる、いわゆる「インドあるある」をご存じ無い方だった。

翌日、一緒に夕食を食べていると、Kさんから「昨日出した洗濯物がさっき返ってきたんだけど、最悪だよ~」と言われた。「何があったんですか?」と聞くと、「スーツのズボンや下着を出したんだけど、返ってきたら、全部、生乾きで湿ってるんだよね!」ということだった。そう、これがまさに「インドあるある」である。こういったリスクを想定して、私は日数分の着替えを持って来たのだ。本来なら、昨日、インド経験が浅いKさんにも、私からこのようなリスクを伝えるべきだった。そのうえで「ランドリーサービス」を利用したのなら、返ってきた洗濯物が「生乾き」でも、それは自己責任だ。ただ、そういったリスクを伝えずに「ランドリーサービスを使ってみたらどうですか?」と軽はずみなことを言ってしまった自分に対して、後悔の念と罪悪感に苛まれた。しかし、今となっては「後の祭り」なので、私は、精一杯、驚いたフリをして「洗濯物が生乾きって、そんなことがあるんですね!!!」と言ってしまった。Kさん、ごめんなさい・・・・。

これから数日間、Kさんと行動を共にするので、その間に、私の知る限りの「インドあるある」をKさんに伝えよう・・・。それが、私ができるせめてもの贖罪だ。

 

 

 

 

「6年ぶり2回目」

2026年1月7日以来、約50日ぶりの投稿となった。この間、何事も無く穏やかに過ごしていたから投稿するネタが無かった、というわけではない。むしろその逆で、「ある出来事」がきっかけで、私に大きな変化が起こり、ブログを書く余裕がなかったのだ。

その「ある出来事」というのは、当社がインドに新会社を設立し、そこの拠点長として私がインドに赴任することになったのだ。D社時代に2018年12月から2020年7月までの約1年半インドに駐在していたので、私にとってインド赴任は「6年ぶり2回目」となる。(まるで甲子園出場校のような言い方だが・・・。)

 

そもそものきっかけは、昨年3月、社長から「インドに会社を設立したいから、事業性やら何やらをいろいろと検討して!」というようなことを、もう少しそれらしい言い方で言われたことだった。私の経験上、インドでビジネスを成功させることは、おそらく社長が考えているほど容易では無いと感じていた。そのため、いろいろと言いたいことは山ほどあったが、いきなり否定的なことを言っても仕方がないので、まずは「会社設立」の目標時期を訪ねた。すると「まあ、1年後くらいかな」と、私の想像をはるかに超えた短納期の目標に驚愕した。また、インドに会社を設立する場合、会社法上「居住取締役」と言って、取締役のうち、少なくとも一人はインドの居住者でなくてはならない。通常、日本人出向者で拠点長を担う方がこの「居住取締役」になることが多い。そこで、社長に「インドの居住取締役は誰がやるんですか?」と尋ねると「う~ん、どうしようかな?」という答えしか返ってこなかった。

これまでも述べてきた通り、うちの会社の良いところは「田舎の町工場」のようなアットホームな雰囲気と、のんびりとして穏やかな社員の方々ばかりだということである。このように「地元でのんびり暮らしている」方々に、「インド赴任」を打診しても、拒絶されるのは目に見えている。ちなみに、先日、私が、部下の課長に「私の代理として東京出張に行って欲しい」と頼んだところ、彼からの回答は「妻と相談したいので、少しお時間をください」というものだった。結局、奥さんとじっくり話し合った結果、しぶしぶ東京出張を了承した。

そういった会社なので、社内でインド拠点長を人選することは不可能だった。かといって、「インドに赴任して拠点長を担える人材」を1年以内に外部から採用することも、それほど簡単なことではない。そこで社長に「1年後の設立を目指すなら、今すぐに人材紹介会社に依頼して、インド拠点長が担える人材を探しましょうか?」と提案すると、「う~ん。採用したばかりの人にインドの拠点長を任せるのはなあ・・・」といった回答が返ってきた。

 

うちの社長は、39才とまだ若いこともあり、私に対して遠慮があるのか、あまり自分の意見をはっきりと言わないことが多い。普段から、社長の言葉の端々や表情からその真意を汲み取って行動することがしばしばあった。今回も、これまでの会話のやりとりから、社長の思いを推測すると、私がインドに行くことを期待しているように感じた。そこで社長の意思を慮って、「私が拠点長としてインドに赴任するしか無さそうですね」というと、私の推測は見事に的中し、社長からは間髪入れずに「それしか選択肢は無いかな」と言われた。

こうして、私は「6年ぶり2回目」のインド赴任の切符を手にしたのだった。

 

この続きは、また次回。

 

 

 

 

「キャッシュレス」

2026年1月5日(月)、当社の2026年仕事始めの日だ。昨年同様、初日は社長と常務と私の3人で豊川稲荷へ初詣に行くことになっていた。例年通り、移動は社長の自家用車で、社長自ら運転していただき、私は後部座席でのんびり座って行くことになっている。そして、昼食は豪華な「特上うな重」を社長にご馳走してもらうことも、やはり例年通りだった。

昨年は、初めてだったこともあり、非常に申し訳無い気持ちで一杯だったが、「慣れ」とは恐ろしいもので、今年は運転してもらうことも、「特上うな重」をご馳走してもらうことも、特に「申し訳無い」という気持ちも無く、すんなり受け入れてしまった。

「社長は車の運転が好きだから・・・」とか「社長は(当社の)創業家の御曹司で、莫大な資産家だから・・・」などといった、とってつけたような理由を並べ、「申し訳無い」という気持ちが薄れてしまったことを正当化する自分がいた。ただ、今年は1つだけ「申し訳無い」と思う出来事があった。少し長くなるが、その「出来事」をお話しさせていただく。

 

1月5日は、自動車大手のT社グループがまだお休みだったせいか、昨年よりも参拝者が多かった。そのため、人込みの中を大きなカバンを持って歩くのが嫌だったので、私はスマホだけ持って、カバンは車の中に置いていくことにした。最近は、PayPayや楽天ペイなど、キャッシュレスが当たり前の時代になっているため、スマホは持ち歩いても、財布を持ち歩くことはあまりしなくなっており、今回も、財布はカバンの中に置いたままで、スマホだけをポケットに入れて豊川稲荷の本殿へ向かってしまった。

しかし、よくよく考えてみると、参拝には「お賽銭」が付きもので、いくらキャッシュレスが増えたとは言っても、さすがに、お賽銭は現金しか受け付けてくれないだろう。そのことに気づいたのは、豊川稲荷の入り口(総門)をくぐり抜け、本殿の手前まで到達したときだった。仕方がないので「お賽銭」無しで参拝しようかとも考えたが、さすがにそれは「マナー違反」だろうと思い直し、社長にお願いして「お賽銭」を借りることにした。

ちょうど、社長が自分のお賽銭を準備しようと財布を出して、小銭を確認していたので、私は「今しかない!」とすぐさま社長に「すみません。財布を車の中に置いてきてしまったので、小銭をお借りできますか?」とお願いした。すると社長は、財布の中を覗き込み、ちゃらちゃらと小銭を数枚掴んで、「はい、どうぞ」と言って、快く五円玉を3枚渡してくれた。私は「すみません。ありがとうございます。」と言い、その小銭をズボンのポケットにしまい込んだ。「これで安心して参拝できる」という思いと、「お賽銭を借りてしまった」という「後ろめたさ」を抱きながら、私は本殿へ向かった。「特上うな重」をご馳走になることも、車を運転してもらうことも、特に「申し訳無さ」を感じなかったのに、「お賽銭の15円」を借りたことだけは、なぜかとても「申し訳無い」という気持ちで一杯だった。

 

2026年の初参拝で私がしたお願いは2つ。「家族全員、健康に過ごせますように」というのが1つめのお願い。そして2つめのお願いは「人から借りたお賽銭でも、ご利益はありますように・・」というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「朱に交われば・・・」

2025年12月初旬、久しぶりに風邪を引いてしまった。いつ以来だろう。去年の7月に新型コロナになったことは覚えているが、ここ数年、風邪で体調を壊した記憶は無かった。

今思えば、D社時代は、肉体的にも精神的にもキツかったため、年末の休みに入ると、1年間の疲れが一気に溢れ出て、必ず風邪を引いて寝込んでいた。今の会社に転職してからは、これまで述べてきた通り「穏やかな日常」を送っているため、風邪を引いて寝込んだ記憶などほとんど無い。

ただ、今回風邪を引いてしまった原因はよくわかっている。明らかに12月1日~7日のインド出張のためだろう。(出張期間のスケジュールは以下の通り)

<12月1日(月)>

羽田からデリーへ移動 (22時くらいにデリーのホテル到着)

<12月2日(火)>

早朝のフライトでデリーからムンバイへ移動

昼過ぎまでムンバイで打合せをした後、ムンバイからバンガロールへ移動

(フライトの遅れとバンガロールでの交通渋滞により、22時くらいにホテルへ到着)

<12月3日(水)>

昼過ぎまでバンガロールで打合せをした後、デリーへ移動。

(フライトの大幅な遅れにより、23時過ぎにホテルへ到着)

<12月4日(木)>

9時から19時まで、計4件の業務打合せ

<12月5日(金)>

午前中はコンサル会社と打合せ、午後はD社インド拠点の工場見学及び打合せ、

 夜はD社インド拠点のメンバー(私の元同僚のインド人たち)と会食

<12月6日(土)>

昼過ぎまでグルガオン市内視察、夕方のフライトで日本へ帰国

<12月7日(日)>

朝、羽田到着

それなりにハードな日程であることに加えて、やはり一番大きかったのは、各地の気温差だと思っている。デリーはこの時期、最低気温は8℃くらいで、セーターにダウンジャケットという装いなのに対して、ムンバイは19℃、バンガロールに至っては25℃近くあり、Tシャツと短パンで過ごせる陽気だった。気温差が15℃近くあるこの3都市を3日間で行ったり来たりしたため、体への負担はかなりのものだったと思う。それに加えて長時間の打合せや夜の会食等、毎日、朝から晩まで予定が盛りだくさんだったため、最終日には、喉の痛みと体のだるさで、どうにも体調が悪かった。また、この時期のデリーは1年の中で最も空気が汚いと言われているだけあって、マスクをしていても、喉に違和感があり、咳が止まらなかった。これが風邪による咳なのか、空気の汚れのせいなのかは、未だによくわかっていないが、いずれにしても、体調不良のまま日本へ帰国した。帰国後も、激しい喉の痛みに加え、微熱もあったので、その日はずっと床に臥せ、翌日も会社を休んで1日、家で静養することにした。

自宅のベッドで横になっているとき、ふと、今回のインド出張に関して明後日の取締役会で報告しなければならないことを思い出した。一瞬焦ったが、「まあ、明日、体調が回復してから(報告書を)作ればいいか」と考え、今日は体を休めることに専念することにした。

取締役会での報告資料を、会議の前日に作成するなんて、D社では考えられない暴挙だったが、「朱に交われば赤くなる」というのは、こういうことなのかもしれない・・・、そう思いながら、その日は1日中ベッドで寝転んで過ごした。